めげない話 | netzsch 熱分析の最先端

めげない話

2019.10.18


こんにちは、ネッチ・ジャパンの篠田です。
この度の台風で被災されました皆様にお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた皆様に心から哀悼の念を捧げさせて頂きます。


日本は先進国の中でも、とかく地震、台風、あるいはそれに伴った火事、津波などと自然の惨禍を受けやすい国なのではないかと思います。
子供の頃は愛知県に住んでおりましたが、地元の伊勢湾台風の記憶も生々しかったのを覚えております。それ以来、何度そのような状況を見聞きしたことでしょうか?


しかしながら、その様な中で醸成された日本人独特の精神文化、美徳、そしてタフさというものも厳然として存在すると思います。


この年になりますと、いろいろ過去の歴史のことも興味を覚え始めます。
いきおいその中で先祖がどうしていたか、はるかにハードに違いなかった昔をどう生き抜いてきたかも気になるのですが、その中で最近、新潟県の弥彦村の上泉村での先祖の事績(弥彦村郷土誌)を入手し大変興味を覚えました。
1800年代の初頭になりますが、上泉村は耕地の八、九割が沼地で、大雨になると弥彦山より濁流が押し寄せ、近隣の悪水も溜まって農作物が腐り、一家離散の憂き目を得る家族も多かったとのことです。
今回の台風でも数多くの川が氾濫しましたが、これだけ科学技術が発達した現代でもこれだけの被害が出るのですから、当時のことは押して知るべしです。


しかしながら、上泉村の村民はへこたれませんでした。そして、そのソリューションはなかなかユニークでした。
まず、低い沼地から弥彦山の方に向かって、二列に杭を打ち込んで横木を取り付け、延々と長い柵を作ります。
これに竹や藁で編んだ、一種のフィルターをとりつけます。弥彦山と沼の途中には小さな丘があるのですが、これに縦に大きな溝を掘り、山からの出水を導き、さらに下流の上述の垣の間に流し込みます。
岡の土は、水の力で運ばれて下流の沼を埋めますが、大粒の土くれなどは途中のフィルターで引っかかって徐々に堤防を自然に形成させるという目論見でした。
事業を開始から五十年、村が一致団結して1.5kmの長大な堤が完成し、開拓地は等しく分かち合ったために、以後は村全体が豊かになったとのことです。(詳しくは、新潟県の弥彦村の郷土誌をご覧ください。)
ただ水害に打ちひしがれる事無く、水をもって水を制しようと智慧を振り絞ってどん底から立ち上がった、先人の意気込みには、現代に生きる日本人もまた勇気を与えられるものがあると思います。


お客様が日本中におられますので、大災害があると真っ先に安否が気遣われます。
東日本大震災の際は、ネッチチームはまだブルカー社内での一部署に過ぎませんでしたが、全てのお客様に何とかコンタクトを取り、全員無事であることを確認できました。熊本大地震のときもそうでしたが、そういうときには装置は基本無償チェックです。
震源近くでは、あの重いSTAが飛んだ所もあったようですが、度重なる揺れで、じわりじわりと実験台の端までずれていって、危うく落ちかかっているところを戻したユーザーもおられたようです。
αゲルを装置の下に敷くのも有効なのですが、いちど張り付くとなかなか取れないので、金属板ではさんだ対策品も市販されているようです。


個人的には、やはり巷で騒がれていることもあって、東海地方の地震が、特に最近気になっております。(熊本大震災の前月にも、確か似た様な事を書いた記憶が…)
地震で装置が飛んだりしないよう、また配管が外れて危険な事にならないよう、対策をとって頂くか、サービスにご相談頂ければと思います。治において乱を忘れず、備えあれば憂いなしです。

ページトップへ